楽しい子育て!のはずが 苦しくなるのは なぜ?
子育てを楽しんでいる人は大勢います。でもそんな子育てに、苦しんでいる人もまた多くいるのです。なぜ、子育てが苦しいのでしょう?それは、子育ての基本を知らずに子育てを行い親子の関係を崩してしまうからです。
- 子育ての基本は、子どもの状態を知ることです。
- 子育ての基本は、親の思う子ども像を追い求めるのではなく、子どもの持っている可能性を伸ばすことです。
- 子育ての基本は、乳児期と幼児期は目と言葉で、少年期と思春期は目で、青年期は背中で子育てをすることです。
- 子育ての基本は、子どもの言うなりにほしいものを与えてはいけないことです。
子育ての基本を理解し、子育てを大いに楽しんでください!
1 子育ての基本は、子どもの状態を知ることです。
1-1 乳児期、幼児期、少年期、思春期、青年期の特徴を知る。
ヒトの脳細胞は、妊娠3か月頃までに作られます。出産時の子どもの脳はあらゆる可能性を秘めてこの世に誕生します。そして時間の経過とともに言葉や感覚、運動の特徴が個人のものとして決定づけられるのです。
乳児期から幼児期はヒトになるための大切な時期です。この時期の環境がヒトとしての一生を決定づけると言っても過言ではありません。ヒトになるための環境とは、親子の生身の触れ合い、正しい言葉かけ、そして土、水、木、など自然のものとの触れ合いです。機械製品から子どもが受ける影響は最小限にとどめるべきです。
少年期から思春期にかけては、人間になるための大切な時期です。言葉を使ったコミュニケーション能力を身に着け、責任感、おもいやり、公共の精神などの社会性を身に着け、自己の将来に向けて向上しようとする意志を持って生きようとする態度を身に着けていきます。この時期に最も大切なことは友人などとの生身の触れ合いです。友人と一緒にいて楽しいと思える体験が多ければ多いほど生きようとする力が強くなります。
そして、青年期にはさまざまな体験を通し、自己実現に向けて自らが歩む道筋を見つけ出そうとします。社会の仕組みや物の成り立ちを、体験を通して知ることで生きる道筋を探す意欲を奮い立たせます。親は、子どもが現在どの発達段階にあるかを知り、その発達段階に応じた環境を整えるよう配慮することが大切です。
1-2 子どもは親とは別の人間であることを知る。
親は子どもを自分の所有物であると思ってしまう傾向があります。果たして子どもは親の所有物でしょうか。子の立場から考えると、とんでもない話で自分は独立した一個の人格だと考えています。もちろん乳幼児はそのような考えには至りませんが、泣いてわめいて自己を主張します。また、親は自分の性格が子どもに受け継がれていると錯覚することがあります。几帳面な親から几帳面な子どもが生まれるとは限りません。几帳面な親に生まれた子どもが大雑把で行動が遅い時、自分と違う子どもの性格がどうしても許せずに憎しみを持つまでに至ることすらあります。子どもは親とは別の人間なのです。自分の思い通りにならないのは当たり前だという前提のもと、共により良く生活する方法を見つける姿勢が大切です。
1-3 自分の子どもの特徴を知る。
子どもの行動を統率しているのは脳の働きです。脳は目、耳、鼻、皮膚などの感覚器から受け取った刺激を知覚し思考を巡らせながら行動を決定し筋肉を動かし様々な動作に移ります。ヒトの感覚器やその刺激を受け取り知覚する機能は人によって大きく違いがあります。特に、知覚は感覚器からの情報を忖度しアレンジして脳に認識させますので個人によって違いが出るのです。同じ物を見ても脳の認識はまったく同じではありません。知覚された情報に対し思考し筋肉を動かし行動する特徴も個人によって大きく違いがあります。全体をながめながら細部を理解(同時処理)することが得意な人もいれば、時系列に順番に理解(継時処理)することが得意な人もいます。本を読むときゆっくりと時間をかけて読み理解することが得意な人もいれば素早く何回か読み返して理解するのが得意な人もいます。これらはほんの一例ですが、情報処理の特徴は人によりさまざまですし、運動の仕方も個人によって大きく違いがあります。いわゆる「性格」という言葉がありますが、この言葉は人によって違う感覚・知覚・認知・運動の機能の違いの現れということができます。自分の子どもがどのような特徴を持っているかを知ることは子育ての重要な要素になります。また、これらの特徴が大きく決定づけられるのに乳幼児期が大きく関わっていることも忘れてはいけません。
1-4 年齢が低いほど、依存症になりやすいことを知る。
ヒトの行動において乳幼児期が重要であることは繰り返し述べましたが、依存症も大きく関係しています。脳は年齢が低いほどにその影響を大きく受けるのです。音楽家でも運動選手でも幼い頃から練習を繰り返すことで一流になるケースを多く耳にします。依存症においても同じことが言えます。選挙の参加年齢は引き下げられましたが、飲酒喫煙や競馬競輪などのギャンブルができる年齢の引き下げはありませんでした。これにはいろいろと議論があったようですが、年齢と依存症の関係が明らかであることが大きな理由だったと思います。若年から飲酒喫煙が習慣になるほど依存症になりやすいのです。ましてや乳幼児期に依存症の恐れのあるものを与えた場合の影響はとても大きくなることが想像できます。ゲーム依存、スマホ依存が問題になる中、幼い子供がスマホを扱う様子を見るにつけ、恐ろしい気持ちになります。
2 子育ての基本は、親の思う子ども像を追い求めるのではなく、子どもの持っている可能性を伸ばすことです。
2-1 子どもの強みを伸ばす。
子どもを他の子どもと比べて良いことはありません。親が比べなくても子ども本人は大人以上に他人と自分とを比較し競争意識を燃やし、劣等感にさいなまれています。あなたは○○さんより優れているとか劣っていると子どもを見るのではなく、あなたの良いところは○○だねと言葉をかけてあげることが大切です。個人内での比較ですから他に比べ優れているところは見つかるはずです。親は、子どもの良くないところに目が行きがちです。親の期待値を目標に設定するのではなく子どもの伸びしろを最大限伸ばすことに着眼してください。親が良いところを認めてくれることほど子どもにとって嬉しいことはありません。
2-2 子どもの好きを伸ばす。
今、小学生や中学生に好きなものは何ですかと問いかけると、「ゲーム」「スマホ」と答えるのでしょうか。人間は動物ですから動くものには直ちに反応し目で追うという行動を起こします。これは、敵から身を守るためにも獲物を捕まえるためにもなくてはならない行動だからです。ゲームはそういった人間の持つ本能に働きかけ興味を引き興奮をもたらし達成感を味わわせてくれます。スマホはそれに加えて「人と接して楽しい」とか「知らないことが分かって嬉しい」「できないことができて嬉しい」という欲求をお手軽に満たせてくれます。でも、行動の主導権は「ゲーム」や「スマホ」の側にあります。人間側は、「楽しませてもらっている」「欲求を満たさせてくれる」というお客様の立場にあります。
「子どもの好きを伸ばす」とは、子どもが主体となり、子どもの興味や関心を強く持つ対象に深く関わらせてあげるということです。これは、感覚、知覚、認知、運動のパターンが個によって違うように子どもによってさまざまです。ただ、何に興味関心があるかは子ども自身でさえなかなか見つけることができません。そこで大切になるのが子どもにさまざまな体験を積ませることです。「かわいい子には旅をさせよ」とはそのことです。旅とは旅行だけではありません。近所の雑木林や川、海、山につれていくことも大切な旅です。雑木林や川などの自然には音楽や絵画や物の成り立ち、物のしくみがたくさん隠されています。そういう自然に接する中で「好き」を探そうとしようとする意欲が湧いてきます。そして人や本、見たことのない物と接する機会を増やすことも「好き」を探すきっかけとなる大切な旅です。体験や経験が豊富な子どもとそうでない子どもとでは、学習に対する意欲に大きな差が出てきます。
2-3 子どものやる気を伸ばす。
今、学校では「関心、意欲」と「知識、理解」、「考える力」が学習評価規準の3本柱になっています。以前は、知識量が豊富で理解力が高ければ良い成績がもらえたのですが、今は関心を持ち意欲的に取り組むことが、高い知識量や理解力、思考力を獲得するために大切だという考えのもとで授業が進められています。「子どものやる気を伸ばす」ことは、子どもの「好き」をたくさん見つけてあげることと子どもに「成功体験」を味わわせてあげることです。子どもは、何でもやってみようとしますが失敗が続くと嫌になります。何事も大成するためには多くの苦労を要するものです。きつくなった時に、親の励ましの言葉で踏ん張ることもあります。まずは、子どもの苦労を理解し応援する姿勢を見せそれでも続かないものは「好き」ではなかったとあきらめるしかないのかなと思います。そういったチャレンジを繰り返しながら継続できたものが「好き」なことだと思います。
親がちょっとした小さな成功体験でもポジティブなメッセージを送り続けることで「好き」が増え子どものやる気が大きくなっていきます。ただ、多くの親は「失敗体験」ばかりが目につき、落胆を繰り返し、ついつい言ってはいけない嫌味を言ってしまい、子どものやる気を潰してしまうことが多くあります。基本的に、子どもには期待しないし、できなくて当たり前とハードルを低くしておくと、ちょっとしたことでもポジティブに反応できるのだと思います。
2-4 親は、YesとNoとNoコメントを上手に使い分ける。
子どもは、ネガティブな行動をわざと行うことがあります。幼い子どもは、汚い言葉を使ったり危ないことを面白がって行ったりします。思春期を迎えている子どもは、親の言うことをうるさがったり、時には人や物にうっぷんを晴らすかのようにぶつかったりします。これは、自己を主張したいという欲求や新たなことや変わったことをやってみたいけれどもできないといううっぷんなどが引き金となるのでしょう。これらの行動に対し、親はどのように対応すれば良いか悩むことが多くあります。
親がNoを出し続ければ、Noの威力が無くなりますし、Noが強すぎると子どもは委縮するかあるいは親への反感を強めていきます。親から見て子どもの良くない行動が続くような場合、子どもの行動を「絶対に許してはいけない行動」と「容認できる行動」に分けて、「絶対に許してはいけない行動」に対しては厳しくNoを出しますが、「容認できる行動」に対してはNoコメントの態度を取ります。Noコメントは、肯定はしないが否定もしないという意思表示です。「絶対に許してはいけない行動」とは命にかかわるような危険な行動や他人に対して危害を加えるような行動で、これに対しては強くNoを示しますが、それ以外はできるだけNoコメントと顔の表情で「良くないよ」と示すようにします。子どもは、親の言うことを逆手に取って面白がって言い返すことがあります。その挑発に乗ることなく無言と表情の意思表示で済ませる方がこじれずに済みますし意外と子どもには「良くない」ということがすんなりと伝わります。よく幼児が要求を通すことができずに泣き叫ぶ場面を見ますが、そのような場合も子どもの要求が通らないことをはっきりと伝え、後は泣き止むまでじっと抱いていてあげることです。そして泣き止んだ時に「エライね」とほめてあげることです。そうすることで次第に子どもには感情を抑制する機能が備わっていきます。
NoとNoコメントを使うこと以上に、Yesを多く使うことが大切です。子どもが普通のことや、やって当たり前のことを行った時でも「エライね」「できたね」「ありがとう」「いいねぇ」などポジティブなYesの表現を多用することで、ネガティブな行動を大きく減らすことができます。結局ネガティブな行動は、自分を見てほしい、認められたいという子どもの思いの裏返しの行動なのです。
3 子育ての基本は、乳児期、幼児期は目と言葉で、少年期、思春期は目で、青年期は背中で子育てをすることです。
3-1 乳児期と幼児期は親の目と言葉で子を育てる。
乳児期や幼児期の子どもは親の視線や言葉を欲しています。子どもは親に見ていてもらえるだけで安心しますし言葉をかけられると親の言葉からたくさんの情報を取り込もうとします。脳の発達が最も著しい時期は1歳前後と10歳前後と言われています。脳では1歳前後にヒトになるための著しい成長が行われ、10歳前後に思春期を前にした大人になるための著しい成長が成し遂げられるのです。
乳児期や幼児期の子どもは、親や周りの大人の言動をまねて人としての特徴を獲得していきます。ですから、汚い言葉を使い変な癖を大人が見せれば子どもも同じように汚い言葉を使い変な癖を身に着けてしまいます。100年前にオオカミに育てられた乳児がいたことをご存じでしょうか。人間に発見された時、その子どもは、オオカミと同じように走り、オオカミと同じように物を食べたそうです。いかに乳幼児期の環境が子どもにとって大切かが分かります。親は、正しい言葉をたくさん子どもに浴びせかけ、愛情を込めて子どもに接しなければなりません。そうすることで、正しい言葉を身に着け愛情を持って人に接することのできる子どもが育つのです。
3-2 少年期、思春期は親の目で子を育てる。
少年期や思春期の子どもは、学校という社会の中で人間として生きるための準備をしていきます。よく勘違いをしてしまうのは、学校では学習がすべてだと思うことです。学校はミニュチュア版実社会と捉えた方が良いでしょう。もちろん学習活動が中心になることに間違いはないのですが、学級活動、道徳の時間、休み時間、掃除給食の時間、児童会や生徒会などの自治活動や部活動を含めたすべての学校生活の中で、人間関係の築き方を学び勤勉に働くことや公正な態度を身に着けるなど人間として社会の中で生きていくために必要なことを多く学んでいきます。
特にこの時期に大切にしたいことは、子どもを学習成績だけで評価をしてはいけないということです。むしろ学習以外の成長部分に親の視線をあててあげたいものです。ただ、残念ながら学校の教員を含めた社会全体が学習成績で子どもを測ろうとする傾向があることです。もちろん学力を武器に人生を生き抜くことも一つの方法ですが、学力が武器にならないときに何を武器に生き抜けばいいかを探す視点を親には持ってほしいと思います。
親がどういう目で子どもを見るかがこの時期特に重要です。子どもの無いものを探すのではなく、有るところを探す目が大切です。親が自分の無いものばかり見ていると子どもは辛くなります。自分の有るところを見ていてくれると子どもは少し安心します。有るものが少ない子は、学校生活で窮地に立たされています。親が子どもの有るところに視線を注ぎそれを使って何とか生きていく方向性を共に考えようとすることで親子の繋がりが次第に深まっていきます。
3-3 青年期は親の背中で子を育てる。
青年期の子どもは、親の存在など眼中にないような素振りを見せたりします。ただ、いざというときに頼みになるのは親しかないことを子どもは知っています。親子の距離感は次第に遠のき子どもは自らの世界を築こうとします。この時期重要になるのは親の行動です。子どもは親の生きざまを観ていないようで観ています。親が人として批判されるような言動を取れば落胆し、懸命に持てる力を発揮して生き抜こうとしていれば尊敬されます。一昔前は、親の働く場が身近にあり子どもは親の働く姿を見て育つことが多くありましたが、現在は職場が子どもの目からは見えにくくなっています。そのような時、子どもが目にするのは家での親の姿です。親が家の中で子どもに理解されない行動をとれば子どもは次第に離れていきます。
私は、子どもも大人も家族全ての構成員が、他者に頼らず生活することが重要だと思っています。家族全員が自分のことは自分で行う。炊事も洗濯も掃除も風呂洗いも自分の分は自分で行うべきと考えます。ただし、役割分担があって外で働いていたり学習に取り組むためにできない部分は他のメンバーが代わりにやってくれる。食事を作るメンバーが何かの都合で食事を作ることができないときは当然自分の食事は自分で作る。本来自分で作らなければならない食事を毎日代わりに作ってくれるのだから食事を作ってくれる人に感謝して毎日食べる。そうすることで、誰かを頼ったり批判したりすることが無くなり感謝の気持ちが満ちて家庭内の争いは無くなるのではないかと思います。
かつての日本では、あるものを分け合って食べるという光景が普通に見られました。今日においても、お互いを気遣いながら楽しくおいしく家族が一緒に食事をするという日常が、人を強くするように思えてなりません。親が家庭内において、自分のしなければならないことをしっかりと行い、人を批判することなく、また傲慢な態度を見せることなく感謝の気持ちを持ち希望を持って生き生きと生きていれば、子どもも次第に感化されていきます。そして、子どもにかける言葉は、子どもから問われたときだけでいいと思います。このとき親が子どもに対してかける言葉は、命令語は避けるべきで自分ならこうする、自分ならこう考えるという親の意見を参考にして自分で考えさせる返答が良いと思います。
4 子育ての基本は、子どもの言うなりにほしいものを与えてはいけないことです。
4-1 買ってもらうことが当たり前になると子どもは横柄になる。
多くの親は、ゲームやスマホをいつ子どもに与えれば良いか悩んでいるのではないかと思います。このことを考えるときに重要になる基準は、子どもがゲームやスマホを遊びや情報入手やコミュニケーションのツール(道具)として客観的に捉えられる年齢に達したかどうかが決め手となります。それ以前であると、子どもがゲームやスマホを操るのではなくゲームやスマホに子どもが操られてしまうからです。もし、子どもが客観的にゲームやスマホを操作できる前の時期に与えなければならない場合は、子どもと相談して親が管理することが必要です。この時、親自身がゲームやスマホを正しく管理しながら使っている姿を子どもに見せなくてはなりません。親が節操なくスマホやゲームを使っていては子どもも管理には従わないでしょう。
ゲームやスマホに限らず、子どもに遊び道具を買い与えるときには注意が必要です。なんでも子どもに買い与えていると子どもは創造し工夫することをしなくなります。そして自分の思いが必ず親に通ることを知ると子どもは横柄になります。乳幼児は毛糸の玉でもよく遊びますし、公園の遊具を使って大喜びではしゃぎます。少年期は雑木林の木や丸太一本でも大いに遊べます。親は子どもに物を買い与えるのではなく身近な物でどう遊ぶかを考えさせ工夫させることが大切です。遊び方が分からず途方に暮れているときは手本を見せてあげましょう。子どもから大いに尊敬されるでしょう。また、親が子どもに物を買い与えるとき、原則は、乳幼児期は素材のはっきりとした物を、少年期は仕組みのはっきりした物を、そして思春期、青年期になるに従い複雑な仕組みの物を与えるというように段階的に具体物から抽象物に与えるものを変えていくことが良いことを知っておくと良いと思います。
4-2要求がすべて通ると思うと子どもは意欲がなくなり集中力や忍耐力が身につかない。
子どもにとって意欲、集中力、忍耐力は、生きていく上で身に着けていかなければいけない大切な資質です。近年、日本人の子どもの意欲が低いことが問題になっています。意欲、集中力、忍耐力には関連があります。目標を持ってそれを達成させるためには意欲的に集中し忍耐強く試行錯誤を繰り返しながら取り組むことが必要です。そして目標が達成できたとき、その喜びを味わうことで、次の目標に向かう意欲が湧いてきます。これを自分一人の力だけではなく友達などと力を合わせて共同で成し遂げたとき、意欲、集中力、忍耐力は一人の時以上に大きく伸長します。人が生きていこうとする力はまさにこの意欲、集中力、忍耐力、達成感のサイクルではないでしょうか。
ところがこのサイクルはゲームに取り組む子どもにも当てはまります。意欲を持ってゲームに取り組み集中し忍耐強く攻略法を編み出してゲームの世界の中で達成感を味わうことができるのです。ここでの喜びは子どもにとってとても魅力的でゲームの虜となっていきます。よく「うちの子は、ゲームをやっているときは集中し粘り強く頑張れるのだが」という話を聞きます。そうなのです。ゲームの怖さはそこにもあるのです。ゲームの中で達成感を味わいゲームの中で意欲、集中力、忍耐力がついてくると、現実の世界で意欲を持って集中し忍耐強く何かを成し遂げることが面倒になったり、煩わしくなったりするのです。
現実の世界は必ずしも報われることばかりではありません。また、人との付き合いは思うようにいかないことが多くあるのです。そのような厳しい現実の世界で苦しみながら努力や我慢を重ね周りの仲間と折り合いを付けながら達成感や喜びを味わうことで、現実社会で粘り強く生きて行く力がつくのです。
親は、子どもに何を与えどのような経験を積ませどのような励ましの言葉をかけることが良いのか、幼いころから教育の方針をよく考え明確にしブレずに実行していくことが大切です。子どもが少年期に達したときにそれまでの方針を急に変えようと思ってもなかなかうまくはいきません。