教員、親そして人としての覚悟

ここ数年、教員を目指す若者が減っているという話を聞きます。教員という仕事の過重労働と子どもや保護者に対する対応の難しさなどが社会問題となる中、教員という職業が敬遠される傾向にあるのでしょうか。私はこれまで教員という職業に就き、子どもと共に成長できたことが何よりも喜びであり、今でもこれほど素晴らしい職業はないと思っています。これから社会に出ようとする若者や職業選択に迷っていられる方々には是非とも教職への道を考えてほしいと思います。

その、教員という職業についてですが、私は教員という職業には「覚悟」が必要だと思っています。それは、子ども達に何かを教えてやろうという覚悟ではなく、子ども達といっしょに生きようとする覚悟です。子どもと共に何かを発見し、子どもと共に何かを作り上げ、子どもと共に感動する時間を練り上げていこうとする覚悟が教員には必要だと思います。「私が先生になったとき」という詩があります。これは、宮沢賢治作といわれたことがありましたが、実際は違ったようです。この詩は、教員の覚悟を謳っているように思います。

私が先生になったとき

作者不詳

私が先生になったとき

自分が真理から目をそむけていて

子どもたちに本当のことが語れるか

私が先生になったとき

自分が理想を持たないで

子どもたちに一体どんな夢が語れるか

私が先生になったとき

自分がスクラムの外にいて

子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき

自分の闘いから目をそむけて

子どもたちに勇気を出せと言えるか

私が先生になったとき

自分が未来から目をそむけて

子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき

自分にほこりを持たないで

子どもたちに胸を張れと言えるか

私が先生になったとき

ひとり手を汚さずに 自分の腕を組んで

子どもたちにガンバレ、ガンバレ

ガンバレと言えるか

教員も人間です。いろいろな人が教員になります。いろいろな人がいるからいいのだと思います。いろいろな教員が悪戦苦闘を繰り返しながら、それぞれの特技や個性を活かし、しかし覚悟を持って子どもと共に生きて行くことが大切なのだと思います。

そして私は、

「心の声を聴き、思いを伝え、愛し、愛されること」

という言葉を先生方に残して学校を定年退職しました。

先生方には、「子ども達の心の声を聴いてほしい」「先生方のうわべの言葉ではなく思いを子ども達に伝えてほしい」「そして、子ども達を愛してほしい」「そして、そして、子ども達から愛される先生となってほしい」

と、決してたやすいことではありませんが、そういう気持ちで子どもに接してほしいと伝えました。そのためには、先生方自身が幸せになることがまず一番重要なことだということも。

さて、ここまで教員という職業について書いてきましたが、親にとっての子育てに覚悟は必要でしょうか。「私が先生になったとき」を「私が親になったとき」に置き換えてみてください。また、「心の声を聴き、思いを伝え、愛し、愛されること」を我が子に当てはめてみてください。どのくらい「自分はできている」と思えるでしょうか。教員と親は違いますが、参考になる部分はあるのではないでしょうか。

そして、またまた、この言葉を「人として」に置き換えてみてはどうでしょう。すべての人が周りにいる人に対してこのような心持で生きることができたなら、世の中はもっと良くなるのではないでしょうか、特に夫婦、友人、同僚、部下など、いっしょに生きていく人に対して、ちょっとした心持ちが互いの幸せにつながるような気がします。

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