人を育てることは脳を育てること その2 出生直後と思春期の脳の発達

脳はどのようにして認知・行動をつかさどる能力を育てるのでしょう。ヒトはオギャーと産声を上げたときには、その後の人生で必要となるおよそ1000億個の神経細胞(ニューロン)を持って生まれてきます。そして外界からの環境刺激を受け行動を繰り返す中で、その神経細胞どうしがつながりネットワークを作っていきます。その神経細胞間のつながりをシナプスと言います。ヒトとして生きるために必要な多くの能力を獲得するための細胞間のつながりシナプスは、多くの脳部位で出生後1歳前後にピークを迎えその後減少します。これは、どういうことかと言うと、生まれてから1歳前後の間に、弱いながらもありとあらゆる可能性のある体の作用をつかさどる細胞間のつながりシナプス形成が行われているのです。1歳に満たない赤ちゃんは何もできないと思われがちですが、何でもできる可能性を作り上げていたのです。その可能性の中には「サルの顔を見分ける能力」の可能性までも秘めているそうで、もし、その能力が赤ちゃんに必要であるならばその細胞間のつながりシナプス形成は強化され「サルの顔を見分ける能力」が身についていくのだそうです。言語についても同様に、あらゆる言語の「発話音声を聞き分ける能力」の細胞間のつながりシナプス形成は出生後1歳前後までに行われていき、あらゆる言語を聞き分ける準備は出来上がっているのです。ただ、その能力は、自分が使う言葉だけが強化され、それ以外のシナプス形成は消えていくのです。このように、弱いながらもあらゆる可能性のある細胞間のつながりシナプス形成が行われる出生後1歳前後にシナプス数は最大数を迎えその後は、使われるシナプスのみが強化され、使われないシナプスは消えていきます。このことをシナプスの刈り込みというのだそうです。

ギニアで生まれ育ったタレントのオスマンサンコンさんが、来日当初視力が6.0あったという話は有名ですが、アフリカの広大な自然の中で生活するためには、日常的に視力が良いことが必要だったのでしょう。視力を高めるためのニューロンがどんどん強化されついには視力6.0となったのでしょう。このように0~3歳までの生活環境の中でヒトとして必要とされる能力は強化が始まり、使われない能力は消えていくのです。まさにヒトはこの時期にどのような人間として生きて行くことになるのかの方向性が決められていくのです。アメリカ人の農業を営む家庭に育つのか、日本人のサラリーマンの家庭に育つのか、熱帯雨林の森の中で育つのか、北欧の都会で育つのか、育つ環境に応じて必要とされる能力が選択されて脳のアイデンティティは決定します。ただしここで決められる能力は言語を含めた身体機能であって考え判断を下す思考についての能力は後になって遅れて育つことになります。ヒトの脳は遺伝に左右されることは言うまでもありませんが、多くの身体機能がこの時期の環境によって決定することはとても重要なことです。日本人が英語のRとLの発音の区別に苦労するのはこの時期に失ってしまった日本語にはないRとLの発音音声の違いをつかさどるシナプス結合をまた0から築き直さなければいけないからです。ただし、一度失った能力を取り戻すことができないというわけではなく、苦労はあっても努力する中で脳は新しい能力を身に付ける柔軟性はもっているのです。サンコンさんは日本で長く生活するうちに視力は1.2になったそうです。これは、0~3歳までに方向づけられた能力もその後の環境によって使われれば強化され、使われなくなれば弱くなっていくということを表しています。

先ほど、ここで決められる能力は言語を含めた身体機能であって考え判断を下す思考についての能力は後になって遅れて育つことになりますと述べました。では、人間が人間として熟考し我慢し決断を下すなどの能力は、いつどのように身に付けていくのでしょう。私は、長い年月を小学生と中学生と過ごしてきた中で、実感として驚きを持って感じたことは、小学6年生と中学3年生の時に子どもの行動が大きく変化するということです。小学5年生頃までは、個々の快、不快が主な判断基準となり他者の言葉を素直に受け入れていたものが、小学6年生になる頃から集団を作って反抗する行動に出たり、自分以外の人を助けようと奮闘努力したりするような強い意志を持った行動を起こすようになります。また、ごまかすことを覚え他者をうらやんだり批判したりする気持ちが湧いてきたりもします。自分を過小評価し落ち込み、何か落ち着かずいらいらするのもこの時期からです。しかしそれが中学3年生になる頃から、自らの行動や周りの集団の行動を客観的に捉えることができるようになり、何が良くて何が悪いかを落ち着いて考えられるようになってきます。落ち着いて大人としての会話ができるようになるのもこの頃からです。小学6年生から中学2年生までの思春期と言われるこれらの行動を私はずっと見てきました。実はこの時期に、脳が大きく変化を遂げていたのです。思考し判断し決断を下す役割を担うのは、額の近くにある前頭葉です。身体機能をつかさどる他の脳部位とは違い前頭葉はこの時期にシナプス密度に変化が起こるのです。次のグラフは身体機能の一つである視覚野と前頭葉のシナプス密度の変化を比べたものです。

引用:「脳の学習力」子育てと教育へのアドバイス、(箸)S.Jブレイクモア、Uフリス(訳)乾敏郎、山下博志、吉田千里 岩波書店

前述のように身体機能をつかさどる能力の一つである視覚野のシナプス密度は、0~3歳でピークを迎えその後急速に刈り込みが進みます。ところが、思考や判断をつかさどる前頭葉のシナプス密度は、視覚野に比べゆっくりと増加し10歳前後でピークを迎えその後かなり緩やかに減少に転じていきます。前頭葉でどのような能力のシナプス形成が準備されていくのかはまだよくわかっていないようですが、身体機能同様に前頭葉では思考などに関するあらゆる可能性を準備したシナプス形成が進められ、必要とされる能力が強化され使われなければ消えていくというシナプスの刈り込みが起きていることが予想されます。このことは身体機能同様に、10から14歳のこの時期の社会的環境が子ども達の思考や社会的アイデンティティ形成にとても重要な方向付けを行うことを意味しています。人として柱となる思想信条は何なのか、どのような対人スキルを身に付けどのような性格を身に付けていくのか、子どもが所属する社会的環境によって強化されるシナプス形成がその子どもの生き方の方向付けをしていくのです。自分を責めたり他人を責めるなどして憤慨し落ち込んだりするのがこの時期です。また協力して成し遂げる喜びを感じるのもこの時期です。何事も起こらない温室の中で育つことが良いことだとは思いません。さまざまな葛藤を乗り越えながら何が良くて何が良くないかを判断できるようになることが大切なのだと思います。そのために、励まし合い互いの人権を尊重し合い共に向上できる子ども同士の集団が重要になりますが、それ以上に子どものそばにいる大人が子どもの気持ちを理解しながらどのように生きることが正しいのかを共に考え大人自身が行動で示すことが大切になるのだと思います。

参考文献:「脳の学習力」子育てと教育へのアドバイス、(箸)S.Jブレイクモア、Uフリス(訳)乾敏郎、山下博志、吉田千里 岩波書店

参照:運動と脳

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