良寛様

私は、「良寛さん」、「良寛様」、「良寛和尚」と良寛様のお名前を口にするだけで心が洗われるような気持ちになります。風がふくように、日が照るように、さざ波が打ち寄せるように、自然に息をし、拍動を重ね、人としての欲を昇華し、森羅万象にあたたかな思いを寄せて生きた人だからでしょうか。私の家の玄関には、良寛様のブロンズ像が置かれています。生前父が新潟で購入し、私の家族の行き帰りを毎日見守ってくれています。当然、ブロンズ像は何も言いません。確かに良寛様も、多くを語る人ではなかったようです。良寛様は、言葉ではなくその立ち居振る舞いが、周りの人への気づきになり教えとなっていたのでしょう。そのことを良寛様自身が意識していたのかどうかは分かりませんが、江戸時代から現代まで語り継がれるほど大きな力を持っていたということは事実です。

良寛様の逸話に「ワラジと涙」というお話があります。良寛様の甥の馬之助が放蕩のうわさが高くなり、心配した母親が良寛様に説教をお願いしたところ、良寛様は馬之助の家にやってきたがなかなか説教ができない。そのまま三日が過ぎ良寛様が帰るために草鞋を履くとき、馬之助に草鞋を結んでくれるよう頼んだ。馬之助は言われた通りに草鞋のひもを結び始めた。そのとき馬之助の首筋に良寛様の涙が一滴落ちた。馬之助ははっとして見上げた。良寛様は頬に涙を伝わらせながら、だまったまま馬之助の顔を見守った。良寛様は無言のまま立ち去ったが、それ以来馬之助の生活は急に改められた。というお話です。

人は、人の行動を改めさせようと考えるとき、説教、説諭、とダイレクトに言葉で解決しようと考えがちですが、思春期を迎えるような年齢になるとそれが結構うまくいかないことが多いように感じます。そのような時、よく相手の話を聞き、相手が考えていることや相手の思いに共感しながら、より良く生きるための方策を共に考えるといったことが大切になります。ただ、人と人とのつながりがうまくいっていないと、心を開いて考えや思いを話してくれないというのが実情です。良寛さんも、これまでの馬之助との関係が良好だったからこそ、良寛さんの涙が馬之助の心を動かしたのだと思います。良寛さんと遊んだ楽しい思い出、良寛さんを信頼する気持ち、良寛さんを尊敬する心が馬之助の中に築かれていたから馬之助の行動に変化が現れたのです。親、教師、政治家、経営者が人の心を動かすためには、威圧でもなければ威厳でもなく、徳を積み、相手に信頼する心、尊敬する心が自然に積み上がることが何より大切なのだと思います。

参照:感情の言語化

参照:本質を求めて

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