母の手紙

母の手紙、と言いましても私の母からの手紙ではなく、私が新米教師の時代に、道徳の副読本に載っていた資料の一つの名前です。

その道徳資料「母の手紙」には、昭和の初め頃のことでしょうか、お役所に勤めることとなった息子に宛てた母からの手紙がつづられていました。全文は覚えていませんが、とても印象に残った一文があります。それは「庁門に入ったら、全ての人を貴人と思って接しなさい。」という一文です。自分よりも身分の高い人や上司など一部の人を貴人と思って接するのではなく、植木を管理してくださる方、臨時で雇われている方、自分の部下となる方など庁内で働く全ての人を貴人と思って接しなさいと諭す「母の言葉」です。私は、この言葉に感銘を受け、以来、可能な限り実行するようにしています。

そのおかげでしょうか、私には嫌いな人がいなくなりました。いつもがみがみ私のことを叱りつける上司がいましたが、私がまだまだ至らないからだなと思い、一つ一つ丁寧にお話を伺い、一生懸命に働きました。そうすると次第に関係が良くなり、かわいがってもらえるようになりました。同僚や後輩の教員に対しても、できる限り礼を尽くすようにしています。話をするときは、相手が立っていれば自分も立ち上がり、話が長引きそうなときは共に座って話をします。ふんぞり返ったり足を組んだり腕組みをしたりポケットに手をつっこみながら話をすることはありません。丁寧に相手の思いを感じ聞き取り共に解決策を考えます。これは、同僚だけではなく、学校に入る業者の方や市の作業員さんに対しても同じです。いやいやそのようなことはない、ずいぶん横柄な態度をとるときがあるよと言われているかもしれませんが、自分では丁寧に全ての人に対し接しているつもりです。

それでは、生徒に対してはどうでしょう。私はこれまでたくさんの生徒と出合い、様々な思い出を重ねてきました。教師と生徒、教えるものと教わるものという関係にはなりますが、私は生徒から学び、生徒の優れた面に自分にはない良さを驚きを持って感じてきました。暴力的な生徒もいれば、犯罪行為に走る生徒もいましたが、そうせざるを得ない環境を考えるとそれら一人一人がいとおしくさえ思えました。生徒を高貴な人という意味の貴人という言葉では呼べませんが、貴重な人という意味では貴人だと思います。

世界では、今なお戦争行為が繰り返されています。人と人とが尊重しあえる様に、国や人種、宗教の違う集団同士が尊重しあえる世の中を一歩でも進めていきたいものです。

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