本質を求めて
ねぇ、ママ 一
たなか さとし
「ねぇ、ママ なんで学校ってあるの?」
「お勉強するためよ」
「ねぇ、ママ なんでお勉強するの?」
「・・・・・・それは、りっぱな大人になるためよ」
「ねぇ、ママ りっぱな大人って、どんな人?」
「・・・・・・・・・・・・・・自分だけじゃなくて、おおぜいの人のことを考えられる人よ」
「おおぜいの人のことを考えるために学校があるのかぁ」
ねぇ、ママ 二
たなか さとし
「ねぇ、ママ どうして女の子には、おちんちんがないの?」
「おとことおんなは、おんなじじゃなくて、ちがうの。そして、お互いに助け合って生きているの」
「じゃあ、パパとママは助け合っているのかぁ」
ねぇ、ママ 三
たなか さとし
「ねぇ、ママ 平和ってなあに?」
「おおぜいの人が、なかよく暮らすことよ」
「じゃあ、けんかしちゃあ平和じゃないんだね」
「うん」
我々教育に携わる者は、常日頃から、一番大切なものは何か、優先されることは何か、本質は何か、を自らに問いかけ、力を合わせて子どもの教育にまい進してきましたが、実のところ、我々以上に、曇りのない澄んだ眼差しで本質を見つめているのは子ども達なのではないかと思うことがあります。それは、先入観や打算が無く初めて見るもの触れるものに興味を持ちそれを知ろうとする意欲があるからでしょうか。
中学生においては、国語、数学、英語、・・・と目の前に現れる勉強という名の試練に立ち向かい、部活動や習い事に懸命に取り組みあわただしい日々を送る中で、「自分は何をしているのだろう」「自分は本当は何がしたいのだろう」ともがき苦しみながら自らが進みゆく理想の未来を追い求めているのではないでしょうか。
私は、子ども達に「宇宙空間の中の地球人の存在」、「原始時代から続く人の戦い」、「持続可能な開発を進めるために人間として行わなければならないこと」などを話してきました。それらは子どもたちにとって現実とはかけ離れた遠い世界にある夢物語の話であったことでしょう。だからこそそれらは、先入観や打算が無く初めて見るもの触れるものに興味を持ちそれを知ろうとする意欲のわくことなのではないでしょうか。我々大人は、子どもたちに目先のことに全力で取り組ませるべく励ますとともに、ちょっと遠くの話を持ち掛けてあげることが大切なのではないでしょうか。子どもたちは、大人以上にそれらの本質を見抜き進みゆく未来をしっかりと歩んでくれると信じています。
幸せ
たなか さとし
幸せは 誰かが与えてくれるものではない
幸せは 勝手にやってくるものでもない
ボーッとしていて 幸せは降ってくるものではない
好きなことばかりやっていて 幸せが突然現れることもない
辛いこともあるだろう
苦しいこともあるだろう
ごまかしちゃあいけない
逃げちゃあいけない
幸せは 自分で作り出すしかないのだ
自分をしっかり見つめ
何をしなければいけないかをじっくり考え
工夫して 努力して
正々堂々と 正しい道を一歩一歩進むことだ
幸せは 自分で築き上げるしかないのだ
~世界の子どもたちの幸せを念ずるばかりです。~