自分を作り上げる

最近、子どもたちに夢を持つことの大切さが強調されています。夢を描きその夢を実現させるために何をしなければいけないかを考えさせロードマップ作りを行うというテレビ番組がありました。目標をしっかりと持ち目標に向けて懸命に努力することは、とても大切なことですし、実際、夢を持ち続けたことで夢を現実のものにできた人はたくさんいます。ただ、私は、この話が出てくる度に思い出してしまう小説の一節があるのです。

吉川英治著 宮本武蔵から

*武蔵と武蔵を師匠と仰ぐ城太郎少年の会話

「おらも大きくなったら柳生様のようになろう」

「そんな小さな望みを持つんじゃない」

「え。・・・・・なぜ?」

「富士山をごらん」

「富士山にゃなれないよ」

「あれになろう、これになろうと(あせ)るより、富士のように黙って、自分を動かないものに作り上げろ。世間へ()びずに世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人が()めてくれる」

武蔵は、城太郎少年に「あれになろう、これになろうと考えるより、自分をしっかりと作り上げろ」と諭すのです。城太郎少年にとってはお師匠さまが何を言っているのかわからなかったのだと思います。武蔵は、夢に向かって進むことは、目標をはっきりさせることができるメリットはあるものの、目標を達成させることに必要な資質を一気に高層ビルのように作り上げてしまい、富士のようにその他の目標以外の資質を含んだバランスの良い裾野の広さを持った成長ができなくなるのではないかと考えたのではないでしょうか。実際に武蔵は天下無敵の剣を高層ビルのように一気に身に着けた後に自らの至らなさに思い悩み苦しむのです。

私は、二十歳の時に日記に上のような絵を描いています。ひょろひょろの棒くいは私、風が吹けば倒れてしまう棒くいも、根を張り枝を伸ばして風雨に耐えられる強さがほしいと願っていました。私が生きていく中で身に着けたい根や枝葉は主体的に生きていく人生経験そのものです。

 小学生には、「夢を持ち夢に向かって自分を作り上げなさい」が分かりやすく大切な指導だと思います。でも、武蔵が言うように、夢に向かうことだけではなく、さまざまな経験を積む中で、人間としてのすそ野を広げることもまた大切なことだと思います。私は、生きている全てが大切な糧だと思っています。苦しいこと、辛いこと、嬉しいことすべてが根となり、枝葉となり風雨にも耐えられる精神や肉体が作り上げられるのだと思います。

懸命に生きていれば人生無駄なことは何もない、そう思います。

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