私たちは「障がいを持つ」とは言いません

発達障がいが広く知られるようになり、その情報がインターネット等で簡単に調べられるようになったからでしょうか、「うちの子には障がいがあるのではないかと思う」と心配されているお母さんやお父さんが増えているように思います。私は、そういった方々に「障がいとは、生活に支障が出てしまう特徴があるとき」に「障がいがある」と言いますと話します。「お子さんは生活に支障が出ているのですか」と尋ねると、そこで障がいであるかどうかの判断がつくようです。生活に支障がないのであればその子の特徴ということになるのでしょう。

「注意欠陥障がい」という障がいがあります。片づけられないで家の中がごちゃごちゃになってしまう。物を置き忘れることが頻繁で物がどんどんなくなっていくという障がいです。ただ、そのような人も、家の中の本当に必要な物だけを残し他は全て処分してしまう、そして、残っている物の置く場所に箱を置き、箱に物の名前を書いておく、そうする事で、定位置に物がないことが一目瞭然となりものが整理できたとしたら、それは障がいではなくなるのです。財布をいくつもなくして困っていた人が、財布にチェーンを付けていつも持ち歩くカバンに取り付けたところ財布を無くさなくなったとしたらそれは障がいではなくなるのです。

私たちは「障がいを持つ」とは言いませんと先輩の先生に教えられました。何故なら障がいはずっと持ち続けるものではないからです。よくたとえに使われるのがメガネと松葉づえです。近視や乱視などで目がよく見えないで生活に支障が出るのは障がいですが、メガネをかけて支障が出なければ障がいではなくなります。足を骨折して歩けなければ障がいですが、松葉杖を使って歩ければ障がいではありません。ですから、私たちは、障がいが現れている時に「障がいがある」現れていない時には「障がいがない」と言います。

自閉症スペクトラム障がい(Autism Spectrum Disorder略称ASD)という障がいがありますが、その現れ方はさまざまで、当然一人として同じではありません。特別支援教育とか個別の支援計画といった言葉はその現れで、それぞれの子どものどこに生活する上で支障があるのかを見定めることが最も大切になります。そして、生活に支障が出ているところをいかに支障がないようにするかを考えていくことが親や教員の役目ということです。

私は、以前言葉の獲得が出来ずに、「アー」「ウー」「ポイッポイ」「ダー」と発声する中で感情を表現する18才のASDの男の子A君と出会いました。A君は知的な能力は低いのですが運動能力は高いのです。ですから急に駆け出したり、物を引っ張り出しては周りの人を困らせたりハラハラさせたりしました。押し入れやたんすなど、一度物を取り出し始めると全て引っ張り出してしまうこともあり片付けが大変でした。ただ、人に対して攻撃的になることはなく人への関心も薄く普段はかわいらしい男の子でした。そのA君は指先が器用で細かい手作業を上手に行うことができます。A君はその作業に入ると集中ししばらく継続してその作業を行うことができます。また集中してくると気持ちも次第に落ち着いてくることが分かりました。作業学習で丸いシールを紙に張り付ける作業を行い、初めは直径2cmほどのシールを上手に貼り付けていきましたが徐々に直径、1.2cm、0.8cm、0.5cmと小さいものに変えていっても器用に素早くその作業を行うことができることが分かりました。やや、体形が太めのA君の指は普通の成人男性の指よりも太く、小さなシールを素早く剥がしては貼って行くことは難しいと思われましたが、知的な障がいがない人でもかなわないくらい上手に小さなシールを張ることができたのです。そして何より、その活動をしているとA君の気持ちが落ち着き穏やかに他の遊びも続けられるようになるのです。

障がいのある方とお付き合いをするとき、なかなかその人の「得意なこと」「好きなこと」を見つけていくことは難しいものです。親や教員、作業療法士、臨床心理士、言語聴覚士などの専門職が、様々な視点でその人の情報を持ち寄り何とかその人の「得意なこと」「好きなこと」を見つけ出すということもあるのかも知れません。しかし、改めて思うことは、障がいのある方にとって「得意なこと」「好きなこと」を見つけ出すことの重要性はとても大きくそれが見つけられるかどうかで育ちに大きな違いが出るということです。ただ、それは障がいがない方と付き合うときも全く同じだと思います。障がいのない方も「得意なこと」「好きなこと」を見つけることは結構難しいものです。そのことに気付かないということも言えます。人と付き合うときに、その人の「不得手なこと」や「嫌いなこと」に着目するのでなく、「得意なこと」や「好きなこと」に着目することで人は余裕が生まれるのです。そうすることで、人は寛容になり更に「不得手なこと」や「嫌いなこと」にも挑戦するエネルギーが湧いてくるからです。

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