人を生かそうと思う者は生かされる。人を殺そうと思う者は殺される。

なんか物騒な表題ですが、私が20歳代の時に読んだ山岡荘八の歴史小説「徳川家康」で山岡荘八が描いた家康像です。とは言いましても、山岡荘八がそう描いたというよりは、私が読み進めるうちにそう感じたというのが正しいかもしれません。家康は、「狸おやじ」とか「謀略家」などと呼ばれることがありますが、人を生かすことが上手な人だったのではないかということです。敵になってもおかしくない人を味方につけてしまう。これは、秀吉についても言えるかもしれません。

現代社会においても、人間関係をうまく築き組織として成果を上げていくことはどの職場においても重要な課題です。トップを中心に各部署の構成員がその人の持つパフォーマンスをいかんなく発揮する職場とそうでない職場とでは組織としての成果に大きな開きが出てしまいます。私はこれまで職場の中で「人を生かそうと思う者は生かされる。人を殺そうと思う者は殺される。」という言葉を背にして多くの人と仕事をしてきました。私の中ではこの言葉が人生訓のようにもなっています。

学校で働いていると、中には私を敵として攻撃してくる保護者の方もいらっしゃいました。また、同僚の中には私と違う考えの方も当然いました。また同僚として教職という仕事の能力の高い人もいれば低い人もいます。授業のとっても上手な人とまだまだな人、子どもの心をつかむことがとても上手な人とまだまだな人、事務処理がとても正確で速い人とまだまだな人とさまざまです。学校では保護者も含め学校職員全員の力が最大限発揮されたとき「子どもをより良く育てる」成果が上がるのです。私はこれまで学校教育に関わる人たちを殺すのではなくどう生かすかを考えてきた気がします。私を敵として攻撃してくる保護者の方と戦って真の敵にしてしまえば私にとって重荷となりますが、私の取り組みや考えを丁寧に説明し理解していただければ敵ではなくなるだけでなく、味方として力を貸してもらえることになるかもしれないのです。考えの違う同僚も仕事がまだまだの同僚も「駄目だ」と切り捨ててしまえばそれまでですが、そういう人こそ尊重し大切にしていくことで私の力となってくれることがあるのです。「人を生かそうと思う者は生かされる。人を殺そうと思う者は殺される。」という言葉は人を尊重し大切にすることで力を合わせ共により良く生きるということなのです。

この言葉は家族のつながりにおいてもとても大事な意味を持ちます。家族ほど距離感の近い人間関係はありません。それゆえに良い面も悪い面も見えますし息が詰まる思いになることもあるかもしれません。また親兄弟夫婦であっても皆性格は違いますし考え方も違います。そこに戦いが起きたらどうなるでしょう。傷つけあいそれぞれが別の道を進むしかなくなります。力を合わせ共により良く生きることが難しくなります。「人のせいにする」「人まかせにする」ことが一番よくありません。家族それぞれがやらなければいけないことを行わないことで不満が生まれ亀裂が生じます。病気で寝ているときでもできることはあります。薬を持ってきてくれた人に「ありがとう、助かるよ」と言えるのです。家族を思い家族のために自分のできることを尽くしていくことで一人一人では得られなかったことが、家族と助け合う中で大きな力として得られるのです。

そして世界の国々の関係です。私はもっともこれを言いたい。なぜ、世界の国々は自国の利益を優先し世界全体の利益に目を向けないのかと、戦いあい憎しみ合うことがいかに愚かなことかと。世界の指導者に伝えたい、私たちのかけがえのない地球のために互いにすべての国を尊重し力を合わせ共により良く生きることがいかに大切かということを。

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