観る
「観る」ことの大切さを感じることがあるでしょうか。
私は毎朝、家の植物に水をやり、枯葉を取り除きながら一つ一つの植物の様子を観ます。そしてもう一つ、メダカに餌を与えその様子を観ます。ただただ観ます。植物もメダカも応えてはくれませんが、何か喜んでくれている気がします。ただただ観てあげることが大切な気がしています。
私の父と母はすでに亡くなってしまいましたが、生前私をずっと観ていてくれた気がします。いつもいつも、父と母に観られていた気がします。父と母が観ていてくれたから頑張れた気がします。不思議なことに今でも、どこかで観ていてくれる気がしています。
したがって、私も三十四歳になる息子と三十一歳の娘をこれまでずっとずっと観てきました。できるだけ言葉は発することなく。代わりに家内が細かく言葉をかけ私に同意を求めるときにうなずくだけです。息子も娘も小さいときはできるだけ見えるところにいるように仕掛けをしました。勉強も遊びも常に食卓テーブルで二人の様子を観ていました。今は、息子は名古屋へ、娘もだいぶ距離ができましたが心の目で観ています。
どうぞご自分のお子様をじっと観てあげてください。それが子どもたちのエネルギーとなって素晴らしいパフォーマンスとなることでしょう。子どもたちは親や地域の人々そして教員に見つめられて輝くのです。
運動会
たなか さとし
大勢が観ているとやる気がわく
大勢が観ていると緊張する
大勢が見守ってくれるとうれしくなる
よーく観てくれるとやる気がわく
よーく観られると緊張する
よーく観てもらえるとうれしくなる
大好きな人に観られるとやる気がわく
大好きな人が観ていてくれると安心する
大好きな人が観ているとうれしくなる
久しぶりに涙が出てしまいました
運動会で