人の道
令和3年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は、実業家渋沢栄一の生涯を描いたものでした。江戸時代の末期、渋沢栄一は埼玉県の大きな農家に生まれ安定した生活を送っていました。ところが、社会のあり様に憤りを感じた栄一は、家を捨て世を正すという志を持って仲間とともに当時政治の中心となっていた江戸、京に旅立つのです。その時の、栄一の父の言葉が私にとってはとても心に刺さったのです。ドラマの中で、栄一の父は多くは語らず「人の道に外れたことはすな(するな)」と言いお金を渡して栄一を送り出したのです。大事に育て、代々続いているのであろう大切な家の跡取りとなる一人息子が、生きて帰れるとは思えないような道を歩もうとしている時に、どのような心境でこのような言葉を発したのか、私はさまざまな思いを巡らせました。
人の道とはいったい何なのでしょう。道教をはじめさまざまな宗教で解釈が行われているところではあると思いますが、人としてこれだけは外してはならないと古くから人々が身をもって感じ言い伝えられてきた行為なのでしょう。人にはさまざまな欲望や願望そして誘惑があります。そして、苦しみから逃れたい、疲れ果ててどうにでもなれと言った状況になることもあります。そのような中で理性を保つことは難しいのかもしれません。でもそのような状況にあっても、自分を律することができる力が大切なのでしょう。人が人として生きるために、人が人であるために、「人の道」はあるのだと思います。
ドラマでこの言葉が再び出てくるのは、栄一が世のために奮闘し、生きて再び埼玉の地に戻ってきた時でした。老いた父が万感の喜びを持って栄一を迎えたときに、「人の道」に外れた生き方をしなかった栄一を褒めたのです。教育は、家庭教育、学校教育、社会教育と場面を変え様々な角度で人間形成を行います。国語や算数、英語など勉強と言われる教育に目が行きがちですが、全ての学問は人間形成の根幹にある道徳心があればこそ生きる勉強なのだと思います。勉強をし多角的に真理を追究する目を育てることで、道徳的に正しい判断ができるようになるとも言えるでしょう。世界中の全ての人に、人としての道を歩んで行ってもらいたいものです。とりわけ、国をリードする人には、「人の道」を重んじる資質は不可欠だと思います。
人の道
たなか さとし
人の道とは、人としてもっとも大切にしなければいけない尊い道
人を殺してはいけない
人を傷つけてはいけない
人をだましてはいけない
人から奪い取ってはいけない
人を裏切ってはいけない
人の道から外れることは、人でない道を歩くこと
決して人としての幸せはやってこない
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人の道幅
たなか さとし
人の道幅は、心持ちによって広くもせまくもなる
人の道幅が8mもある人もいれば
人の道幅が平均台の幅だけの危なっかしい人もいる
人の道を踏み外した後には何があるかを想像し
やましい気持ちの無い、安心した心を持って、正々堂々と、人としての自分の道を歩いてほしい
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